頭痛とともに起こる症状には、食欲不振、吐き気、顔色不良、朝がつらい、冷や汗、目の痛み、さまざまなものがあります。頭痛がメンタル不調やうつ病につながることも研究で明らかになっています。
一見すると、頭痛に関連付かないような症状も実は頭痛が原因だったということがよくあるのです。

頭痛を慢性化させないためには、どんな小さな頭痛の予兆であっても見逃さずに早期対策していくことが非常に重要です。そのために、当クリニックは総合的な視点で原因を特定できるように、頭痛外来のみならず内科と精神科(頭痛由来のメンタル疾患)を併設し、幅広い視点で原因の追究と治療を行います。

徹底したヒアリングをもとに原因を特定し、問診だけでは正確な診断が付きにくい場合は、さらに詳しい検査を実施。日々の生活で取り組める頭痛改善の方法についても指導します。

3つの特徴

FEATURES

一人一人の頭痛に合わせた
オーダーメイドの治療

院長田村はこれまで脳神経外科として、言語化ができない小児から大人まで頭痛患者さんを延べ約1万人診察してきました。原因・症例・治療の膨大なデータ蓄積をもとに、年齢や性別の傾向を加味し、西洋医学(一般薬、ジェネリック)、東洋医学(漢方薬)のみならず、予防薬の投与、最新の抗体注射治療、異なる治療の組み合わせを駆使。「1人1人のために」をモットーに治療を提案し、改善に導いてきました。

頭痛→メンタル疾患→頭痛悪化の
悪循環をくい止める総合的なケア

「頭痛くらいで仕事を休めない」と鎮痛剤で痛みをごまかしながら根本解決を試みない間にむしばまれていくのが、一見何も関係のないように思われるメンタルです。「また明日頭痛が起きたらどうしよう」「早く抜け出したいのに治らない」― これらの頭痛由来の悩みはやがて重症なメンタル疾患につながり、それがさらに頭痛を悪化させるという事例は研究でも明らかになっています。当クリニックでは、診察の際に頭痛に対する不安や焦りがないかをチェックし、頭痛を悪化させる芽を早期発見。メンタルを含めた総合的な頭痛治療を行います。

ただ治療するだけではない。
患者さんの希望に合わせた治療計画

予防薬を含む予防治療にも力を入れ、不快な問題である頭痛の程度、頻度、持続時間を軽減させて患者さんのQOL(人生の質の向上)を目指すべきと考えています。また、ライフステージによって通院できる頻度も様々。患者さんが「どんな治療ペースで」「どんな日々の生活を過ごせると良いか」を考え、医師と共に治療計画の擦り合わせをします。水分の取り方、睡眠、運動、食事などのきめ細かな生活指導も含め、総合的な視点で患者さんを健康と QOL向上に導きます。

あきらめない。

この言葉ほど、苦しんでいる人を支える、尊い言葉はない。

そして同時に、医療自体も前進させる、大切な言葉でもある。

このかけがえのない、強く優しく希望に満ちた言葉を掲げ、

その決心に恥じない行動を、日々積み重ね、一歩一歩前進させる。

ネバーギブアップ

苦しんでいる人がいる限り、引き下がらない。

私たちは決して、幸せをあきらめない。

VISION

幸せをあきらめない

MISSION

引き下がらない医療を

命を守る努力は当然。
我々は患者のより良い生活の為に、医療を前進させる。
一歩一歩前へ、決して引き下がらない。

ACTION

頭痛治療の可能性を追求する

頭痛治療を主体とした脳神経外科として特化する
あきらめない頭痛クリニック開院
頭痛治療の可能性をさらに追求
内科・小児科・耳鼻科・脳外科との連携(近隣&広域)

VALUE

スタンダードが正解とは限らない

STORY

なぜ「頭痛」にこだわるのか?
それは、家族の辛い辛い頭痛がきっかけでした。

ゴーウィングマイウェイ

炭鉱で栄えた佐世保(長崎県)の街で私は生まれました。よく三輪車で、ダンプを一心に追いかけ、現場に突進していくような子どもでした。「こんなところに来てはダメだ!」と怒られていました。小学校でも強引さは変わらず、みんなから疎まれ、つまはじきにされる毎日。親もあきれていました。でも、立たされても怒られても平気でした。そんなわが道を行くタイプの私に父は、「おまえは会社勤めのキャラじゃない。だから医者にでもなれ」と言いました。童心のままで、医師への道を突き進みました。

限界は作りたくない

脳神経外科医になりました。当時の大学病院は巨大なピラミッド組織で、トップは絶対でした。理不尽な人事によって奄美大島に赴任させられました。こんなトップダウンを変えることはできなくても、私が譲れなかったのは患者さんへの姿勢でした。たとえば命に関わる手術。命を助けるのは当然ですが、術跡に配慮しない先生が多くいました。そんな心遣いをできないことが私には疑問でした。さらに私は常識やスタンダードに縛られませんでした。試せることはなんでも試してみよう。人の命や人生がかかっているのだから、NOはない。あきらめるわけにはいかない。とにかく限界は作りたくないという一心で取り組みました。

前進あるのみ!

毎日、病棟に行ったら患者さんを診る。すると、私が治療方法をしぶとく追求するからか、「患者さんのために」という想いはトップの考えや院の方針とぶつかりました。子どものときと同じようにつまはじきにされるようなこともありました。それでも患者本位は絶対に曲げられません。理不尽なことの多い大学病院でしたが、とにかくネバーギブアップ。しかしある日、ついにありえない異動命令が出ました。私は自分の信じる医療を続けるために「ネバーギブアップ! 前進あるのみ! 引き下がるわけにはいかない!」と自分に言い聞かせ、信念を貫くために開業を決意しました。

目の前の人が悲しんでいるのに、
引き下がれるのか?

片頭痛は一般的な病状ですが、一見華々しい医療の進歩から置き去りにされている分野です。あまりにありふれた病状なので、これに対峙する脳神経外科医が少なく、先端医療の対象になりにくいのです。私の人生の転機は、娘を授かった頃に訪れました。妻の頭痛が急に悪化し、さらに娘は3歳の頃から幼いながらも拙い仕草や表情で頭痛を訴え始めました。頭痛の治療が未発達な日本で、目の前の家族が悲しんでいる状況に、まさか自分の身にこんな運命が降りかかるとはと思いました。しかし、夫として、父として、そして一人の脳神経外科医として、引き下がれるのかとも思ったのです。開業した私の、壮絶な試行錯誤と創意工夫の日々は、こうして始まりました。

頭痛に特化した医師として貢献したい

「その薬で頭痛が半分になったら、とりあえずこれがゴールデンスタンダード。だから我慢しなさい」とは、まさか妻と娘には言えません。しかし、これが頭痛治療の現状でした。私は引き下がらずに、考えうるありとあらゆる治療を試みました。データを集め、文献も読みあさり、漢方だってとことん追求しました。これらを毎日行ったので、試みの量は膨大となり、その克明な行動記録を『頭痛日誌』として自院のホームページに記載しました。たとえわずかでも着実に、治療を前進させるために。

技術革新や検証によって医療も治療もどんどん進化しているように見えますが、なかなか変わらないスタンダードもあります。私は子どもの頃から「ゴーイングマイウエイ」で、ちょっと自分勝手な人間でした。しかし、医療の現場で経験を積むうちに、そして家族の病気に向き合ううちに、ゴーイングマイウエイの「マイ」は消えていきました。目の前の人が悲しんでいるのに、引き下がれないからです。常識的なスタンダードが正解とは限りません。相手の話をしっかり聞いて、自分の目で確かめ、考えうる手立てを尽くす。引き下がらずにしつこい医療を実践し続ける。これらが患者さんの幸せをあきらめないことにつながるのです。

頭痛日誌は、自分の試行錯誤の記録でした。ところが思わぬことが起きました。私の頭痛日誌を目にした方々が、全国から患者さんとして訪れ始めたのです。当然のことながら、頭痛で悲しんでいるのは、目の前の人だけではありませんでした。私はやはりスタンダードが正解とは限らないと確信したと同時に、私の医院に新たなる使命が与えられた気がしました。「日本中の頭痛に悲しむ患者さんたちのために、そして家族のために、頭痛外来で貢献する。前進あるのみ! 私は引き下がらない」と誓ったのです。

頭痛治療の限界に挑み引き下がらない決意を

頭痛治療の可能性をさらに追求するために、私はさらなる決断を下しました。全国から患者さんを受け入れるために、全国の内科・小児科の病院と連携するために、アクセスの良い福岡への移転を決意しました。院名は「あきらめない頭痛クリニック」。「あきらめない」という、この一言を聞いただけで、どれだけ多くの人々が希望を見出すことでしょう。自らを律し、前進し続けるために、私のポリシーを院名としました。

命を守る努力は当然のこと。さらに私たちは患者のより良い生活のために、医療を前進させる。一歩一歩前へ進み、決して引き下がらない。
「引き下がらない医療を提供すること」が当院のミッションなのです。

全ての治療の扉はあきらめないことから開ける 
- ネバーギブアップ

あきらめない。
この言葉ほど、苦しんでいる人を支える、尊い言葉はない。
そして同時に、医療自体も前進させる、大切な言葉でもある。
このかけがえのない、強く優しく希望に満ちた言葉を掲げ、
その決心に恥じない行動を、日々積み重ね、一歩一歩前進させる。
ネバーギブアップ
苦しんでいる人がいる限り、引き下がらない。
私たちは決して、幸せをあきらめない。