ごあいさつ
GREETING
頭痛治療をあきらめないこと、
それは、幸せをあきらめないこと。
~「引き下がらない医療」をミッションに~
2001年、鹿児島に脳神経外科クリニックを開業した当初、私は「頭痛」とはそれほど縁のない日々を過ごしていました。
ところがある日、最愛の娘が3歳の頃にひどい頭痛を発症しました。まだ幼い娘は「頭が痛い」と言葉にして訴えることはできず、冷や汗をかきながら「どうかある」と言って寄ってきました。どう対処していいかわからなかった私は、最初は冷えピタを貼って落ち着かせていました。娘は4歳になったとき、はっきりと自分の言葉で「頭が痛い」と言ってきました。そこで私は初めて、娘に小児の頭痛があることを認識したのです。
それからというもの、私は「何とかして頭痛の痛みと苦しみを取り除いてあげたい」という一心で試行錯誤を繰り返しました。数限りない頭痛を経験した娘の闘病の日々を、ブログ『頭痛日誌』として10年以上にわたって克明に記録しました。そのブログの閲覧者は全国に及び、各地から頭痛持ちのお子さんを持つ親御さんや、頭痛持ちの成人の方が当クリニックを訪ねてくるようになりました。
頭痛持ちの方々の診察を重ねていくにつれ、「頭痛で苦しむ時間を減らしてあげたい」「仕事で最大限パフォーマンスを発揮してほしい」「家族で遊びにいくときも頭が痛くならずに楽しんでほしい」と強く思うようになりました。なぜなら、患者さんは頭痛の痛みを我慢していることで、気付かないうちに身体的・心理的な機能を弱らせ、多くの時間や笑顔だけでなく人生の幸せまでをも失っていっているとわかったからです。
頭痛を改善させることで、患者さんの日常に笑顔と幸せを取り戻してほしい。
そのために、私は患者さんの治療に困難という壁が立ちはだかっても引き下がらない。
あきらめずに治療方法を見つけていく。
この私の思いを込めてクリニックの名称を「あきらめない頭痛クリニック」とし、
鹿児島から、ここ福岡の地に移って開院しました。
多くの患者さんに来院していただき、患者さんのターニングポイントとなるような治療を心掛け、「出会って良かった」と言われる医師を目指してまいります。
- 院長
- 田村 正年
- 医師経歴
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昭和32年9月15日長崎県佐世保市に生まれる昭和51年佐世保西高校を卒業昭和60年鹿児島大学医学部卒業昭和62年県立大島病院勤務平成元年静岡東てんかんセンター勤務平成2年鹿児島県立北薩病院勤務平成4年脳神経外科専門医取得平成4年加治木大井病院脳神経外科部長として勤務平成7年金丸脳神経外科勤務平成7年博士号取得平成9年徳田脳神経外科部長として勤務平成13年田村脳神経外科勤務令和5年11月福岡市博多区に「あきらめない頭痛クリニック」を開院
- 所属学会
- 日本頭痛学会、日本てんかん学会、脳神経外科学会評議員、脳卒中学会員、日本脳神経学会コングレス会員、日本精神神経学会